僕はイエス様が嫌い (2019)

何かを伝えようとしている意思は伝わってくるけど何を伝えたいのかが分かりませんでした。

丁寧な作りの映画を目指したのは伝わってきます。実際には映像、音楽、セリフのどれにも雑な部分があります。

例えば、継ぎ足し用のココアを入れるのがコーヒー用湯沸かしヤカンなのは洗うのが大変なので普通は使わないし、ココアに熱湯だけを足すことも味が薄まるのでしないし、普通に素手で触ってるので注ぎ足して入れてもらっても熱いココアにもならないし温かくもなりません。だって冷えたココアに手で触っても大丈夫な30度台以下の温度の液体を注ぎ足して冬の屋外で温かい飲物にはならないです。これは制作費の問題では無くこの映画の制作現場に携わった方々がどの程度の細かい気配りをしていたかということに尽きます。

こういう雑な部分はユッタリしたテンポで話しが進む場合は目立ちます。

特に伝えたいことが概念的な場合には細部まで丁寧に作ることがとても大切です。

アクション映画などでは多少雑な作りの部分があってもさほど気にならない場合も多いものなんですけどね。

結局のところ丁寧に作った映画を作りたかったけど雑な観察力が露呈してしまっている映画になってしまってます。

救いは子役がどの役者も演技が上手く自然だったことです。

眠れない夜に観るには良さそうです。

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